ろくしゃ かい 下の巻
チグハグな彼を見兼ねたあばれうまのりお氏が彼をバンドに勧誘。
のりお氏のオリジナル曲を演奏するバンド「ボルト放射」への加入である。
家に眠らせていたベースを取り出し、ベーシストとして参加した。
「これが僕の生きる道」
初めてそう確信した彼は、再び音楽人としての人生を歩み始めるのであった。
のりおとの活動は刺激的な毎日だった。
(今ある彼の持ち曲で、のりおからインスパイアされたものもある。)
WAKU WAKUが止まらない!!
どんどん音楽が楽しくなる。
演奏、表現、歌うことが好きになり、このままプロを目指そうか?という時に
なぜかバンドは自然消滅、、
ここで彼は音楽活動を断念する。
そして
高校卒業後、今度は俳優を目指したのであった。
俳優の専門学校に行く準備をすすめていた頃、一人の女性と出会い、恋に落ち、頻繁に会うようになる。
もともと女性に弱い彼は
女性との関わりひとつで
簡単に信念を曲げてしまいがちである。
その時もその子の何気ない一言で山梨に留まる事を決断してしまう。
そして、山梨の短期大学に入学。
そして、卒業間近で中退。
友達からの甘いビジネスの話にのっかってしまっての行動である。
ビジネスの為に沖縄に行く事になったが、
結果、そのビジネスでは収益をあげられず、しばらく沖縄で暮らす事に。
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そんなある日、高校の同級生Wの一言(お前、ハリウッドスターになる夢諦めたの?)を
夢の中で思い出し、上京。
こんどこそ俳優の学校に行くことに。
俳優の勉強しながら、TVの仕事を進めていく。
ハリウッドデビューという目標の元、アクションも本格的にやる事を見据え、
あわよくばK-1にも出れたらな、、という思いもあり
テコンドーを習い始める。
TVで共演した大物ミュージシャンの勧めで(番組の形式上だが、、)ユニットを組む事になる。
そこから俳優、タレント熱から再び音楽熱が再来!!
JACK FELLOWというパンクバンドを結成する。
しかし、これも、3ヶ月でプロデューサーから資金繰りの兼ね合いで打ち切りとされる。
また、音楽の道が閉ざされてしまったかに見えたが、、
今度は音楽熱はやまなかった。
ボイトレ学校を渡り歩き、歌唱力を強化。
様々なコンテストで賞を取ってはライブ活動に精を出す。
音楽活動の中で幾度か、あらゆるミュージシャンとユニットを組む事もあったが、
なかなか活動がうまくいかず、すぐに解散に至る日々がつづく。
もともとルーティーンが苦手な彼にとって地道な活動に耐えられるはずもなく、心身ともに弱り切っていた。
そんな時に神のいたずら、青天の霹靂。
またしても甘い話がやってくる。
つづく
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ろくしゃ かい
高校卒業後、タレント活動を開始。2003年、テレビ神奈川の『LOVE ONE STATION』に出演した際、共演者つのだ☆ひろの推薦によりユニットを組み、以降、音楽活動を開始。2004年ユニット解散後はソロ活動でアジア、日本各地でLIVE活動を展開。2006年、第2回東京キャラクターズバトルでグランプリ受賞。2007年、M STAR JAPAN AUDITIONで準グランプリ受賞。本戦の中国・天津TVに参加し、その週のグランプリを獲得。グランプリ受賞者出演のM STAR JAPAN Liveに参加。韓国のB'zと言われる韓国の有名ロックシンガー、ソムギョンホとも共演。2009年、篳篥奏者である照之丞に楽曲提供。2011年に東北復興支援プロジェクト『TOGETHER』に参加、楽曲提供。iTunesにて楽曲リリース、その後ゴスペル活動を経て、なんやかんやあって、からの2017年、ウラナワナイへ正式加入。